ピカソのアンラーン戦略

アンラーンブーム

最近、「アンラーン」という言葉がビジネスの世界で使われ始めました。以下のような本が書店のビジネス書棚に並ぶようにもなりました。

『アンラーン戦略』 「過去の成功」を手放すことでありえないほどの力を引き出す
『Unlearn(アンラーン)』 人生100年時代の新しい「学び」
『仕事のアンラーニング』 働き方を学びほぐす
『みんなのアンラーニング論』 組織に縛られずに働く、生きる、学ぶ

アンラーン戦略で生きた画家

しかし、美術史を学んだ人や私のような画家からすると、実は140年前に生まれ、生涯にわたり「アンラーン戦略」で壮絶な人生を歩んだ画家が存在していたことを知っていますから、とくに今更、「アンラーン」と語られるまでもないと思ってしまいます。それだけ現実のビジネスの世界が厳しさを増していて、今までの成功体験や有効だと信じられてきたビジネスモデルが通用しなくなっていることから、一度すべてを捨てて新たな知識を学び直そうという動きがあるということなのでしょう。

1881年にスペインで生まれたピカソは、画家で美術教師であった父ホセの英才教育により、14歳で描いた「科学と慈愛」という絵で、写実絵画ではプロレベルにまで到達してしまいます。
しかしその後は、91歳で亡くなるまでの間、「英才教育時代」、「野心の時代」「青の時代」、「バラ色の時代」、「キュビズム」、「新古典主義」、「フォルムの魔術師」、「ピカソスタイル」、「過去との対話」、「幼児のような絵」※(このピカソの時代区分は私独自のものです)と絵画のスタイルを次々と変えながら、ピカソは78年間の画家生活を通じて約1万3500点の絵とデッサン、10万点の版画、3万4000点の本の挿絵、300点の彫刻と陶器を製作したとして、最も多作な画家としてギネスに認定されている程、膨大な作品数を残します。

14歳で描いた「科学と慈愛」と最晩年に描かれた幼稚園児が描いたような絵を、予備知識の無い人が観た場合、どちらの絵が、ピカソが子供の頃に描いた絵なのか、逆の判断をしてしまうでしょう。

天才ピカソの苦悩

ピカソは晩年に「ようやく子供のような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶんと時間がかかったものだ」と語っています。幼くして絵画の英才教育を受け、写実絵画の領域を極めてしまったピカソが本当に描きたかったのは、幼稚園児が自由に楽しんで描くような絵の世界だったのです。そのためには、人々を魅了する完璧な写実テクニックを捨てなくてはならなかったのです。

ピカソはアフリカ彫刻に魅了され、ギリシャローマ美術から影響を受け、モディリアニをライバル視し、葛飾北斎を尊敬し、あらゆることに好奇心を抱き、貪欲に学び尽くします。その時代ごとに確立した絵画表現を自ら破壊し、新たなスタイルを生み出し続けます。普通の画家は、一生かかって自分独自のスタイルを一つ確立したらそれだけで人生を終えるものですが、ピカソは違いました。そのエネルギーは凄いと思います。そのエネルギーの源は、父との確執、親友カサヘマスの死、英才教育により叩き込まれた写実主義の呪縛に対する反発であったようです。この負のネガティブマインドが強いエネルギーとなり、天才ピカソを生み出したのです。

そして、ピカソが求めた究極の絵画表現が幼稚園児のような絵であったということは、意味深く考えさせられる話です。幼児からの英才教育の問題提起として、覚えておく必要がある事例でもあります。

ピカソは名声と富を手に入れ、華麗な人生を送りますが、その裏では満たされない心を抱え苦しみ続けた人生でもあったようです。

創造的破壊

ビジネスにおいて成功体験や成功モデルを捨てることは、かなり難しく痛みや苦しみを伴います。創作活動をする者には理解できます。苦しみを伴う創造的破壊なくして新しいものは生み出せません。

私が絵画制作で筆が進まなくなる時は、全体のイメージがまとまらず、それでいて画面の一部に、特に上手く描けた、気に入った表現ができたと思える部分があり、当然そこの部分を活かして作品全体を完成させたいという欲に囚われているときです。部分に囚われていると、なかなか思うように絵は完成しないものです。そんな場合は、勇気を持ってその気に入った部分、残しておきたい部分を思い切って塗りつぶしてしまうのです。そうすることで作品は完成させることができるようになります。つまり、自分にとって利点である、強みである、メリットである、長所であると思っていることが、実は最も自分の未来の成功の壁や障害になってしまっていることがあるのです。「アンラーン」を学ぶということは、そういうことをビジネスやプライベートに活かす為の学びなのでしょう。

取り扱い注意

ちなみに、ピカソは女性関係においても「アンラーン戦略」を実施してしまい、分かっているだけでも七人の女性と恋愛関係に陥り、その女性遍歴は激しかったようです。
彼の人生を飾った女性達は、フェルナンド・オリヴィエ、エヴァ・グエル、オルガ・コクローヴァ、マリー・テレーズ・ワルテル、ドラ・マール、フランソワーズ・ジロー、ジャクリーヌ・ロック、正式に結婚したのはオルガ・コクローヴァとジャクリーヌ・ロックの二人だけでした。「アンラーン戦略」も使用上の注意ありということですね。

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